【ヒトりヒトりの笑顔のために】遠藤貴博氏インタビュー第1話「起業までの道のり」
■遠藤貴博 | プロフィール
1971年川崎市に生まれ、埼玉県で育つ。現在、有限会社カミナリ屋代表取締役。高校卒業後、時計販売、トラック運転手を経て、独立を視野に居酒屋チェーンを運営する株式会社モンテローザ入社。27歳の時に独立を決心し、埼玉県志木でカミナリ屋を開店。現在は埼玉県を中心に都内含め14店舗を運営。http://homepage3.nifty.com/kaminariya/
今回は、遠藤貴博氏のインタビュー(全3話)の第1話「起業までの道のり」を紹介していきます。
起業までの道のり
高校卒業してから、時計販売をしていたが、給料が10万円そこそこぐらい。休みがあってもお金がなくて、その頃友達がトラックの運転手をしていて、20万円~30万円ぐらい給料をもらっていたのが羨ましくて、自分もトラックの運転手をはじめようと思った。
トラックの運転手を4年ぐらい続けた頃、バブルが崩壊し、仕事が減ってきた。この先40歳、50歳になったときにどうなるのか・・・漠然と不安がよぎっていた。仲間とよく行く居酒屋の店員を見ていたら、従業員がとても楽しそうにしていたことや、高校時代つぼ八でバイトしていた楽しい時を思い出し、「居酒屋は楽しそうなところだなぁ」という気持ちをずっと持ち続けていた。
トラックの運転をしながら今後の人生について悩み続けて半年後、とうとう決断した。
”お金を貯めて居酒屋をやろう!”と。
そのためには、居酒屋チェーンで勉強するのが良いと思い、居酒屋チェーンを運営するモンテローザに入社した。それが23歳。
漠然と30歳ぐらいで独立しようと思っていた。はじめて2年位したら仕事が面白くなって、だんだん目の前の仕事に没頭するようになった。会社の組織が変わり、上司と一緒に独立しようと。自分は組織の一部になることはもうないと思ったため、モンテローザを辞めて焼鳥屋でアルバイトをしながら、上司が辞めるのを待っていた。でも、上司はなかなか会社を辞めない・・・結局、上司は家庭もあり冒険ができず、会社を辞めなかったため、自分一人で独立することとなった。
まずは場所探しと思い、テナントを探していたところ、たまたま志木(埼玉県)の駅前の新築で「テナント募集」の文字が目に飛び込んできた。どうせ”法人じゃないとダメ”とか”お金が足りない”とか言われるんだろうと思いながら、書いてある電話番号に電話をし訪ねて行ったら、突然怒られることとなった!!
「あなた!事業やりたいの?やりたくないの?どっちなの?」
自分の回答があやふやだったのか、そう急き立てられてしまった。自分が腹をくくっていないからダメなんだと思い、思わず「やります!」と遠藤社長。ここで本当の意味で決意を固めた。
お金は当然なくて、父親に相談したところ、父親が家を売ってくれた。しかし、それでもお金が足りないため、国民生活金融公庫で融資を受けられる目標額まで資金を集め公庫に行ったら「担保出してください!」と、そのセリフに固まる遠藤社長。家を売ったばかりで担保などあるわけもなく、事業計画や志木再開発の魅力を説明したが、「将来はわかるが、とりあえず連帯保証人を3人」と要求され、父や友人、元上司に連帯保証人になってもらったという。
テナントオーナーに「遠藤君、家もないし、連帯保証人に友達とかいるんでしょ?崖っぷちだねぇ」とニコニコしながら言われた。
本当に腹をくくるしかなかった。余計なことを考えるヒマがなかった。
物件が10月末に決まって、工事が終わるのが1月半ばであった。工事がスタートしたら、まだ見ぬ自分の店への不安と、どんどん追い込まれていく自分を知った。年末は不安いっぱいで生きた心地がせず、レコード大賞、紅白歌合戦を見ながら吐き気がしたほどだったという。不安で押しつぶされそうなので、早く店をオープンしたかった。でも、泣き言言ってる場合じゃないぐらい背水の陣だから、前を向いて頑張る以外に選択肢がなかった。と遠藤社長は語ってくれた。
店のきっかけ
赤提灯のような、大衆居酒屋をイメージしていたが、当時はオシャレな居酒屋が流行り出してきており、「やっぱりこういうオシャレな雰囲気っていいなぁ」と思ったのと、志木駅再開発の雰囲気とマッチすると思い、オシャレな雰囲気で、本当に美味しい焼鳥とカクテルを出すお店を作りたいと思った。
折りしも、和民、白木屋が女性の入りやすい店を作っており、女性をターゲットにした居酒屋が流行りだしていた時期であった。
開店前はヒマだったので、色んな肉屋さんに問い合わせをしていたところ、たまたま親切な工場長の肉屋さんに出会った。工場見学をさせてもらい、店のコンセプトを話したところ、鳥の見分け方や、美味しい焼き方、炭の使い方を教えてもらった。ささみやレバーは、半生で出すと美味しいとか、細かいことまで教えてくれた。「この辺りで、鳥の出し方(焼き方)をしている店なんてないから、コレ絶対にうけるよ!」と工場長の太鼓判をもらっていた。
このコンセプトと商品の出し方は大正解だった。
開店時は、客層の70%は女性で、毎日3回転するほど大人気。21時には売るものがなくなり、お店を閉めたほどだったという。
内装を凝ってオシャレにしたり、良い肉を使おうというのは、自分に自身がないから、武器がないから、だからそういうとこに力を入れていた。と遠藤社長は言うが、それまでの努力は計り知れない。
写真:埼玉県志木市「炭火串焼とカクテルのお店 炭酒場カミナリ屋」
編集後記
人生のターニングポイントは、常に「人との出会い」にあるように感じる遠藤社長。上司との出会い、テナントオーナーとの出会い、肉屋さんとの出会い・・・。
遠藤社長が、ひたむきに努力する姿に、周りの人が力を貸してあげたくなるのではないだろうか。本人は、「周りの人はそう言いますが、そんなに努力はしてないですよ」と言うが、これまでの道のりを考えれば、そんなことないのは明らか。努力を努力と思わない性分が、今の成功を作っているのではないか。そんなことを遠藤社長から感じた。
(事務局:中小企業診断士 平井彩子)