【地域への感謝と共に】日疋好春氏インタビュー第1話「逆境からの起業」
<日疋好春氏 プロフィール>
1971年生まれ。株式会社ひびき代表取締役社長。1992年株式会社ひびきを設立。埼玉を中心に飲食店、テイクアウト専門店など18店舗を運営。 http://www.hibiki-food.jp/
今回からは、埼玉県を中心に展開している株式会社ひびきの社長である日疋好春社長のインタビューをお送りいたします。
起業のきっかけ
戦後、養豚、養鶏を営む父親が当時高級だった肉をおいしく食べられるようにとみそだれを考案し、そのみそだれやきとりが東松山名物とまで言われるようになりました。しかし、1985年のプラザ合意後、安価な外国産の焼き鳥に押され、みそだれやきとりは町から姿を消すことになりました。同業仲間の保証人を引き受けていた父は求償債務を負わされ、父親の事業までもが廃業に追い込まれるはめになった。
高校までは卒業できたが、父親に「申し訳ないが、これから毎月、家に100万円家に入れてくれ」と言われ、生活費以外の収入をすべて家に入れていた。当時十代であったにも関わらず、とても苦しい生活をしいられていた。どれだけ仕事をしても生活はかなり厳しかったが、1990年高校を卒業と同時に個人でイベントや催事の請け負いやプロモーションの仕事を始め、FM局NACK5で一生懸命やった仕事が評価され、建設省河川局の式典や埼玉県庁の行事などの仕事を紹介してもらうことができた。
そして転機は94年、西武線本川越駅の駅ビルから受注した秋祭りのイベントでした。駅前広場に全国各地の名産品、物産品を集めるというものでしたが、土壇場でブースの空きができてしまったため、悩んだ末の苦肉の策が、父親が売っていた「みそだれやきとり」の販売でした。催事の請け負いだった自らブースを埋めることになったんです。そのイベント終了後も、「おいしかったわよ。またやらないの?」という言葉を多くもらうようになり、地元商店街のご厚意で土日だけやきとりを売ることができるようになった。駐車場に自分でぼろ布を集めてきて作ったテントとは呼べないようなテントを張り、自分ひとりで店に立ち昼前から夜遅くまで焼き鳥を焼き続けました。
経緯はいろいろありますが、一言で言うと私の場合父の負債の返済をするための起業でしたね。と語ってくれた。
編集後記
インタビューを聞いているだけでは分からない本当に厳しい時代があったのだと思う。そんな過酷な生活だったにちがいない起業のきっかけを日疋社長は淡々と話してくれた。
しかし、その逆境を跳ね除け、父親が築き上げた「東松山名物のみそだれやきとり」を全国に広めたいと言う熱い思いは、日疋社長からとても伝わってくる。経営者の想いが、原動力となり、事業の成功につながるのだと言う事を、今回の日疋社長のインタビューを通じて感じた。